郷土芸能
浅沢神楽
鎌倉時代に奥州の各地を遍歴していた山伏の一行が、現在の二戸市浄法寺に住み社を建立して伝播したのが始まりとされ、それが里神楽として現在の安代浅沢地区に伝わったと考えられています。
~ 番 楽 ~
~ 虎の口 ~
~ 鳥 舞 ~
~ 権現舞 ~
山伏神楽
江戸時代初期、南部家の屋敷で殿の御前で踊ったのが始まりとされる。後に岩手山神社(上坊)で五穀豊穣、家内安全を祈って踊るようになった。松尾地区に伝えられ役神楽ともいう。長嶺神社の例祭や地区のイベントなどで披露される。
田植踊り
南部家が三戸に居を移した(16世紀)ころ、盛岡の関口(現愛宕町)に7人の芸人を住まわせ、伝統芸能を伝えたことに始まる。江戸時代末期、野駄に伝えられて今にいたる。伊那那伊沢神社の例祭などで発表される。
念仏剣舞
寛文年間から享保にかけての凶作、貞亨年間の岩手山噴火などで困窮していたころ、高橋西念という人が貧しさにあえぐ人々を救おうと念仏と剣舞を教えたのが始まりで寄木に伝わる。お伊勢さん(大神宮)の例祭などで披露される。
松尾ふるさと案内人 畑健吉氏の監修によるものです。