八幡平市観光協会

豊かな自然の大パノラマ 岩手山・八幡平・安比高原・七時雨

記念碑・文学碑

御製と御歌

御歌の歌碑

 松尾寄木の県民の森には、昭和天皇の御歌(御製)と平成天皇が皇太子時代に詠まれた御歌の歌碑がある。昭和49年の全国植樹祭では昭和天皇が、59年の全国育樹祭には現在の天皇が当時皇太子として来県された折に詠まれたもので、二代にわたり行幸の栄に浴したことになる。
 昭和天皇は第45回国民体育大会の折にも旧松尾村に行幸されており、また、平成天皇も皇太子時代にお忍びも含めて二度ご来村されている。かつては学習院の八幡平校舎があったことから、現在の皇太子殿下をはじめ、たくさんの皇族方が幾度も訪れている。
昭和天皇御製
「岩手なる 阿がたの民の憩場の 森となれかしけふ植ゑ志苗」

皇太子の御歌
「旅の朝の 窓より見れば岩手山 真向かいに立つふもと紅葉に」

松尾鉱山をしのぶ

中村正雄氏の追慕碑

 柏台にある松尾鉱山資料館敷地内に、松尾鉱山の二代目社長中村正雄氏の追慕碑がある。『誠実の人』と刻まれたこの碑は、生前親交のあった文豪里見弴の揮毫で、元山にあったもを移したものだ。隣には閉山に伴う閉校記念碑などがある。
 鉱山本社のあった元山には小学校で起きた圧死事故で犠牲になった児童たちの供養の碑がある。中和処理施設の事務所前には、『よみがえる北上川』と刻まれた新中和処理施設の建設記念碑があり、柏台に下がって赤川橋際のポケットパークには赤川の河川改修事業を記念した碑が数基ある。いずれも松尾鉱山の負の遺産とされる酸性水の浄化、北上川の清流化への願いをこめたものといえよう。

句碑・歌碑と文学散歩

同胞の記念碑

 松尾地区には文学碑の類は数少ない。柏台のさくら公園に句碑が二基ある。地元の農協の獣医を勤めながら、句会を指導した俳人堀米昭(秋良)、その師匠でもある俳人秋元不死男氏の句だ。松尾コミュニティセンターには旧松尾村を舞台に、地元の若者たちが大勢出演して話題となった映画『同胞』の記念碑が、制作に携わった有志によって20周年を記念して建てられた。山田洋二監督直筆のコメントが刻まれている。公民館の分館にあたる畑分館には、かつて寄木小学校の分校だった時代に赴任した大牟羅良の句碑がある。大牟羅は『いわての保健』の編集者として戦後の僻地保健に尽力くし、農村の悲惨な生活を綴ったドキュメンタリー『もの言わぬ農民』の著者として有名だ。

路傍の碑と民間信仰

路傍の碑

 地区のあちこちに見られる碑は民間信仰として普及してきた山岳信仰や社寺参詣が主流だが、地域がら『岩鷲山』と大書したものが多い。馬産地の名残りで「馬頭観世音」も目立つ。中には蚕の供養や蝗蟲(イナゴ)退散の願いをこめたものなど、動物への対応は心温まる。一方で、行人塚や餓死供養塔など、凶作と貧困への恐れが読み取れるものもある。
 それにしてもなぜ路傍なのであろう。寺社の境内にもあるが、多くは道端の辻辻にある。さまざまな宗教と土俗的な神々が習合して生まれた庶民信仰だというが、その種類も多岐にわたる。だから、ごく限られた範囲の仲間で、ないしは全く個人的に建てるものもあり、公共の場にはなじまないというわけだ。近年は区画整理や道路工事で移動や集約されるものが多いが、路傍の辻に、道しるべも兼ねて置かれるのが本来の姿だという。
 どこにでもある路傍の碑。しかし、良く見ると一つとして同じものはなく、時代時代の人々の、その時々の思いが伝わってくる。野仏には先人の深い思いや願いがこめられている。そこから歴史や風土、生活文化といったものを読みとる愉しみもあるが、美術的、文学的視点、環境保全や景観という面からのアプローチもある。野仏の鑑賞は奥が深い。

【キーワード】 ・野仏・蚕供養・餓死供養・蝗蟲退散

松尾ふるさと案内人 畑健吉氏の監修によるものです。